9月の日記とお知らせ

2004年9月30日(木曜) 入院日記 18日目
 昨夜は23時くらいには寝て、今朝は朝食前の8時近く迄寝てた。 途中で2回程目が覚めたがまたすぐに寝つけ、入院以来初めてぐっすりと寝れた様な気がする。
 朝飯 (パン、ジャム、卵スープ、フルーツ缶、ヨーグルト)
 朝食後はまた昼寝。
 昼飯 (散らし寿司、炊き合わせ、吸い物、牛乳、甘酢生姜、フルーツ)
 明日、退院予定なので荷物の整理をする。 14時からリハビリ。 帰ってきてしばらくすると満が二回目の見舞いに来てくれた。
 夕食 (米飯、コロッケ せんキャベツ付、高野豆腐含め煮、だんご汁)
 21時半ごろ嫁来る。 明日必ず退院する意気込みで殆どの荷物を持って帰ってもらう。 もし退院できなかったらどうしよう・・。

2004年9月29日(水曜) 入院日記 17日目
 昨夜は23時には眠りに就いていた。 5時半起床。 朝食までウツラウツラ。 雨はそんなに降って無い。 採血後、朝食。
 朝食 (米飯、みそ汁、金平蓮根、牛乳、かつおでんぶ、高菜漬け)
 雨が結構降って来た。 11時頃になると雨も風も強くなって来た。
 昼飯 (米飯、魚のマヨネーゼ焼き ソテー付、肉じゃが、そうめん汁)
 昼過ぎ台風は熊本を過ぎたみたい。 14時からリハビリ。 今日は15度までかろうじて曲がるようになった。 リハビリから帰ると、友人のお父さんが見舞いに来てくれた。 15時より入浴。 脱衣室で転倒・・。 右踵と左腕を打つ。 踵はすぐに痛み引いたけど、腕は打撲と擦り傷で少々痛い。 どうも脱衣室の椅子の足が曲がってたみたい。 15時半頃嫁来る、今日は仕事休みの日だ。
 夕食 (米飯、豆腐のハンバーグ 人参甘煮付、しぎやき、吸い物)
 嫁、21時半から歯医者に行く為に21時過ぎに帰る。 今日は昼寝してないので眠いので早めに就寝。

2004年9月28日(火曜) 入院日記 16日目
 午前7時起床。
 朝食 (パン、マーガリン、ミートローフ風オムレツ サニーレタス付、ポタージュスープ、ジュース)
 装具の採寸。 金曜日か次の週の火曜完成との事だったけど、無理言って金曜に完成してもらう様に頼む。 装具代金、68392円!高い! 保険対象になるにるので、全額支払ったあと市役所に書類を提出すれば7割は帰って来るらしい。 採寸して病室に帰る途中、主治医の先生に偶然会ったので、「装具が金曜に出来るので、金曜に退院していいですよね?」と訪ねると、「うーん、火曜じゃあ駄目?今週末は自分は出張で不在なんで」との事。 「なるべく早く帰りたいんですがぁ・・」と言うと、「装具が完全にフィットして、歩けたとして、リハビリに毎日通い、自主トレもすると約束出来るなら良いでしょう」との事!! やった!金曜退院予定だ!
 昼食 (カレーライス、コールスローサラダ、フルーツ、福神漬け、牛乳)
 入浴後、14時からリハビリ。 リハビリから帰ってくると、エレベーターのトコで鹿山洞さんとバッタリ会う。 お見舞いに来てくれていた。
 夕食 (米飯、ミックスフライ せんきゃべつ付、炊き合わせ、吸い物、お月見団子)
 嫁、20時半過ぎに来る。 台風21号が九州に接近中。

2004年9月27日(月曜) 入院日記 15日目
 昨夜は眠い目を擦りながらF1を見た。 琢磨、予選9番手タイムながらエンジン交換で10番グリッドプラスペナルティ、シューマッハのノータイムなどで18番手スタート。 結果は6位入賞。 中々の検討だ! 再来週の鈴鹿が楽しみだ。 7時半起床。
 朝飯 (米飯、みそ汁、筍のおかか煮、こんにゃく昆布、牛乳、のり香味)
 シャワーで無く、入浴の許可が出た! 前の空きベッドに新たな方が入院して来る。
 昼飯 (山菜炊き込みご飯、南瓜のそぼろあんかけ、ゴマ酢和え、吸い物、漬け物)
 14時からリハビリ、15時から入浴。 手術の前日以来の入浴。 つまり二週間ぶりの風呂。 いやあー気持ち良かった! 風呂上がってジュースを買いに行くとロビーで魁孔舍さんと会う。 入浴中にお見舞いに来て頂いていた。
 夕飯 (米飯、魚南部焼き 即席漬け付、ミモザ風マセドアン、豚汁)
 嫁、21時半頃来る。

2004年9月26日(日曜) 入院日記 14日目
 午前6時半起床。
 起きて携帯のメールを確認すると、えらい久々の人間からメールが来てた。 その人物は以前、独立する前に勤めていた時の同僚で、独立して半年くらいまでは交流あったが、最近疎遠になってた人だ。 いやあ、懐かしい。 今はバツ2になって、トレーラーハウスで暮らしているとの事・・。 羨ましいのか何なのか変な感じ。 久々に会いたいものである
 朝食 (米飯、みそ汁、芋の煮物、のりの佃煮、土佐)
 前のベッドの方が退院、羨ましい・・。
 昼飯 (米飯、鶏の唐揚げ せんキャベツ付、五色なます、かき玉汁、牛乳、1食しょうゆ)  14時頃、友人二人が見舞いに来てくれる。 二度目の見舞いは初めてだ。 先生がその間に回診、シャワーは結局明日からOKとの事。 夕方、古書組合の方々(河島書店、天野屋書店、グエル書房、キララ文庫、まーぶる書房)がお見舞いに来てくれた。 差し入れの本やお見舞い金を頂く、ありがたい。 そう言えば、今日は熊本古書組合の交換会だったなぁ。
 夕食 (米飯、ロールキャベツ、酢味噌和え、ひじき大豆の煮物)
 嫁、21時頃来る。 今日は入院以来初めて昼寝をしなかった。 夜、 F1を見なくちゃあいけないけど大丈夫か?

2004年9月25日(土曜) 入院日記 13日目
 午前6時起床。 久々に朝から晴れてる。
 朝食 (パン、マーマレード、スクランブルエッグ 粉ふき芋・トマト付、コンソメスープ、ジョア)
 朝のガーゼ交換回診の時に看護婦さんに「足痩せましたねぇ・・。」と言われた。 「そうかなぁ」とは思っていたけど、改めて見てみると右よりかなあり細くなってる!まるでズボンはいたルパン三世の足だ! たった10日あまりでこんなになるとは・・。
 昼飯 (米飯、ポークピカタ 人参グラッセ付、金平ごぼう、春雨汁、牛乳)
 夕飯 (米飯、かき揚三種 もみじおろし・天つゆ付、即席漬け、吸い物)
 嫁、21時過ぎに来る。 あと特に記す事無し・・。

2004年9月24日(金曜) 入院日記 12日目
 睡眠薬を飲んで寝たのに午前3時に目覚める・・。 何かの間違い?かと何度も時計を確認したが間違い無い様だ。 それから2時間程また眠れず・・。 7時半起床。 踵が痛い・・。
 朝食 (米飯、みそ汁、里芋おかか煮、金山寺味噌、利尻、牛乳)
 朝の定例回診。 今日は抜糸だった、知らなかった。 12針縫ってあった。 先生が「患者さんは針数で見るけど、自分達は切った長さで見る」との事を聞く。 なる程、同じ長さの傷でも何針にする事も出来るもんね。 一ケ所、水膨れがあるけど、あとは問題無しとの事。 10時からリハビリ。 相変わらず痛い・・。 自分の感覚では筋は痛くなくて、踵の骨が痛いだけど・・大丈夫??
 昼飯 (焼そば、若布ごはん、とりささみの辛子酢和え、ワインゼリー)
 昼飯食べ終えた頃、嫁来る。 今日は仕事休みだ。 店の支払い等、銀行や郵便局へ回って貰う。 その後、一時間程昼寝。 14時半頃、嫁戻って来る。 その後、17時半まで嫁も昼寝。 疲れている模様・・。
 夕食 (米飯、魚味噌煮 大根付、酢の物、けんちん汁)
 手術後、初めて1階に降り、ショッピングモールを見て回る。 嫁、21時頃帰る。 睡眠薬を半分飲み23時就寝。 午前2時前に目が覚め「朝まで生テレビ」を1時間程見て再度就寝。

抜糸後の写真 その1 その2 その3 その4 その5 その6  

2004年9月23日(祭日) 入院日記 11日目
 7時起床。
 朝食 (パン、マーガリン、牛乳入りシチュー、フルーツ缶、ジョア)
 今日は祭日なのでリハビリ無し。 特に記す事も無く、野っぺらな一日。
 昼食 (米飯、チキンカツ フライドポテト付 せんキャベツ付、南瓜の炊き合わせ、吸い物、牛乳)
 漫画読んだり、ウツラウツラして夕方。
 夕食 (米飯、魚のカレームニエル ソテー付、焼豆腐の含め煮、吸い物、おはぎ)  今日から車椅子での行動が許可されたけど、結局どこにも移動しなかった。 「風雲児」完読・・、結構字が多いのでちかれた、でも面白かった。 嫁、21時半頃来る。 消灯後、お腹が減ったので朝食に出たパンを残していたので、それを食べる。 12時からNHK「トップランナー 佐藤琢磨 F1完全復帰への奇跡」の再放送を見る。 これは今年のF1開幕直前の4月に放送されたモノの再放送だ。 当時、後半に10分くらいしか見れてなかったので良かった。 まあ、内容はF1ファンには物足りないけど、琢磨ファンは彼の人間的なモノが感じとれてそこそこ見る価値があったのでは。 ヤクを飲み1時就寝。

2004年9月22日(水曜) 入院日記 10日目
 昨夜も睡眠薬服用。 6時に目覚める。 血液検査の採血・・。
 朝食 (米飯、みそ汁、ごま和え、牛乳、かつおでんぶ、ハリハリ漬け)
 10時からリハビリ・・相変わらず痛い・・。 リハビリの先生の話によると、足の骨折後のリハビリで一番痛いのが踵骨折のリハビリらしく、踵から遠くなればなる程、痛みは減って行くらしい・・。
 昼飯 (米飯、田舎風オムレツ 生野菜添え付、茄子のしぎやき、コンソメスープ)
 今日は昼食半分しか食べれなかった。 昨日から熱っぽかったのが、本格的になった。 怪我のトコをリハビリで虐めるので発熱するらしい・・。 平熱5度6分のメルだが、最近は7度前後ある。 氷枕を貰い昼寝。 夕方の回診で明日から足台付の車椅子での移動許可が出た。 朝の検査の結果で「肝機能が少し弱ってる」との事・・。 手術で点滴をし、痛み止めや抗生物質などを飲み、普通でも肝臓の負担は増えるのは当たり前で治療するまでは無いとの事だ。 手術前にその話しは聞いていたが、自分の肝臓は強いしねと思っていただけに、少しショックだった・・。 来週の頭に足の装具を採寸するとの事。 オーダーメイドなので一週間は製作にかかるらしい・・これで今日から最低10日の退院は無くなった訳だ・・。 
 夕食 (米飯、魚マリネ、里芋とイカの煮物、吸い物)
 「風雲児たち」21巻目終了、あと9冊! 嫁、20時半頃来て、歯医者に行く為21時半前に帰る。 消灯後、お腹へったのでプリングルス(小)を食べる。

2004年9月21日(火曜) 入院日記 9日目
 昨夜は睡眠薬を1時半頃飲んで寝て5時頃目覚める。
 朝食 (パン、ハネーソフト、目玉焼き ウインナー・ベジタブルソテー付、ポヤージュスープ)
 朝から髪を洗ってもらった。 ?と思ったが、後でこっそり看護婦さんに聞いたら、まだベッドから降りてはいけないので、シャワーはもちろん、洗面台に行き、髪を洗うのもまだ禁止だった! 相変わらず「風雲児」読書。 ウトウトしていると12時頃、久留米のK,I,D組長が見舞いに来て来れる。
 昼食 (米飯、ウイング照り煮 マッシュポテト付、大根サラダ、吸い物、沢庵、牛乳)
 その後、13時過ぎに大分の山さん殿が来て来れる。 話をしていると14時からリハビリ。 またまたベッドごと移動。 リハビリは辛いっす・・。 15時頃リハビリ終了。 1時間程話した頃、組長帰えられる。 入れ代わる様に小学校時代からの友人、満が見舞いに来て暮れる。 差し入れに「星新一  気まぐれスターダスト」を貰う。 中学後半からハマり出した星新一の作品1001編の中で、単行本に収録されていなかった26編収録だ。 表紙装幀は「真鍋博」だ、さすがツボを押さえている。 「風雲児」を読み終えたら楽しもう。 17時頃先生が回診で来られ、相変わらずに足を「グイッ!!」とされもがいてる姿を見つつ、山さん殿帰られる。 その後、1時間程話し満帰る。
 夕食 (米飯、魚のおろし煮、マカロニサラダ、呉汁)
 嫁、21時半頃来る。 午後の回診あたりから、少々熱っぽい感じ。

2004年9月20日(祭日) 入院日記 8日目
 7時起床、またまた「風雲児たち」読む。 昨日5巻まで読破。
 朝食 (米飯、みそ汁、切干大根含め煮、こんにゃく昆布、ふりかけ、牛乳)
 またまた「風雲児たち」。 11頃、せお団長が見舞いに来てくれた。 お見舞いに「妊婦さんのにぼし」ほかを頂く。 さすが団長、ナイスなチョイス!?
 昼飯 (チャーハン、海藻サラダ、中華スープ、福神漬)
 2時間ほど昼寝。 16時頃、高校の同級生2人+後輩2人、計4人で見舞いに来てくれる。
 夕食 (赤飯、魚に照焼き 酢れんこん パセリ・ミニトマト付、ポテトサラダ、茶わん蒸し)
 夕食ごは「風雲児たち」現在11巻目に突入。 嫁21時半頃来る。 

2004年9月19日(日曜) 入院日記 7日目
 またしても午前1時頃目がさめる・・。 それからはウツラウツラで起床時間の6時。 6時から8時まで曝睡・・。
 朝食 (米飯、みそ汁、卵とじ、きゃらぶき、ふりかけ)
 抗生物質の点滴も無くなったし、土曜、日曜はリハビリも無いのでなーんも予定無い。 午前中、福岡在住の友人と彼女が見舞いに来てくれた。 「ここ最近、車の調子が悪い」と前回会った時に言っていたが、今日は熊本に来る迄に三回車が止まったそうだ・・。 帰り際に彼女が「大丈夫かなぁ?」と言ってたけど、一時間もしない内にメールで「車止まった」と来た。 JAFを呼んで最寄りの販売店までレッカーしてもらい高速バスで帰り、明日取りにくるとの事だ・・大変。 彼の弟も先週、五ヵ月の入院を経て退院したそうだ。 原因は交通事故で川に転落・・。
 昼食 (米飯、牛肉の辛み炒め せんきゃべつ付、大豆のサラダ、吸い物)
 昼食後、二時間程昼寝。 3時頃、じざい屋さんと彼女が見舞いに来てくれる。 お見舞いで「風雲児たち 全30巻/みなもと太郎」を頂く。 退屈していたので有り難い。 彼の作品は「ホモホモ7」から殆ど全作品読んだ事あったけど、この漫画、数巻をバラで読んだ事はあったが全巻通して読んだ事なかった。 最初から読んで行くと「かなぁり、面白いね!」完全にハマってしまった。 みなもと太郎恐るべし!!
 夕食 (米飯、豚肉の味噌漬け焼き 酢ごぼう 酢人参付、ピーナッツ和え、野菜汁)
 食後は「風雲児たち」をひたすら読む。 嫁は土日際は婚礼が入っているので忙しい。 消灯5分前に来て、慌ただしく帰っていった。 23時就寝、1時半に目覚め2時間程テレビを見る。

2004年9月18日(土曜) 入院日記 6日目
 4時に目が覚めテレビでパラリンピック開会式を見てたけどまたウトウト。 午前7時起床。
 朝飯 (米飯、みそ汁、カニだし巻き卵、納豆、筍におかか和え、味のり)
 今日からリハビリが数日無いのでテレビ見ながらアイシング。 ガーゼ交換時に傷の写真をデジカメで撮る。 昨日は寝ぼけ眼でみたんで、特に何も思わんかったけど、今日マジマジと見ると凄い傷・・。 数えたら10針近く縫ってあった。 気持ち悪っ・・。 担当の先生が回診に来て、また足を可愛がってくれました・・。 今日から病室でもゴムを使って足の踵を伸ばす運動をする事になった。
 昼飯 (米飯、魚のホワイトソースかけ、きのこのピリ辛炒め、沢庵、パイナップル、ヨーグルト)
 そろそろ何も書く事無くなってきたよ・・。 そりゃあそうだ、24時間の内23時間50分はベッドの上にいる・・。 する事と言えば、三食食って、テレビ見て、携帯でメールチェックや開示版書込み、あとは寝てるだけ・・。
 夕食 (米飯、イワシにみりん焼き 焼きししとう付、もやしとニラのナムル、赤だし)
 嫁が21時頃くる。 23時くらいまでテレビ見て就寝。

2004年9月17日(金曜) 入院日記 5日目
 起床時間6時になってようやく寝れた。 朝食までの2時間曝睡。 何か少しくらい騒がしい方が寝れるみたい。
 朝食 (米飯、みそ汁、焼きなす、子持ち昆布、土佐、牛乳、1食しょうゆ)
 またウトウト。 10時頃、両親が見舞いに来る。
 昼飯 (中華丼、胡瓜とクラゲの酢の物、吸い物、ハリハリ漬、フルーツポンチ)
 14時からリハビリ。 昨日同様、ベッドで移動。 リハビリは昨日より踵の関節が5度曲がる様になっていた。 あと1.5kgの重りを足首に巻いて足上げ片側づつ100回。 リハビリ所はカレンダー通り運営なので明日、明後日、明々後日は休みだ。 その間に腫れが引いてくれると良いのだが。 
 夕飯 (米飯、鶏に竜田揚げ 千キャベツ付、五目金平、擬製豆腐調味あんかけ、1食しょうゆ)
 嫁が20時半頃くる。 今日は歯医者なので21時過ぎに帰る。 手術の前に日に睡眠薬を貰って飲んだ日以外は夜に眠れないので看護婦さんに頼んで睡眠薬を貰っていたけど、何となく消灯時間には眠くなったので飲まずに寝た。 午前1時、2時と目が覚めたが、今回は、またすぐに眠れた。 結局は4時に目が覚めテレビを見て過ごす。 

2004年9月16日(木曜) 入院日記 4日目
 夜中、尿意はもよおすが構えてオシッコが出るまでに5分ほどかかる・・。 これを数回繰り替えし、殆ど寝ないまま朝を迎える。
 朝食 (米飯、茄子のみそ汁、のりだし巻き卵、切り干し大根含め煮、ご飯の友)
 午前中は昨夜寝れて無いのでウツラウツラで過ごす。
 先生がガーゼ交換時に足をうりゃ!とま曲げる、ビックリしてそれで目が覚める。
 昼食 (米飯、ミートローフ ほうれん草ソテー付 粉ふき芋付、炊き合わせ、吸いもの、牛乳)
 今日から早速リハビリだ(早!?) ベッドごとの大移動。 リハビリ内容は指先と踵の関節が固くなって固着しない様に、との事。 「初日と言う事で軽めにします」との事だったが、腫れが全く引いてないので関節を曲げる事よりも腫れ部を触られる事の方が痛かった・・。 初日のリハビリは30程で終了。 レントゲンを撮って部屋に帰ったあとは、またウトウト。 嫁は半休を取って3時頃来る。
 夕食 (米飯、すきやき、茄子の辛子和え、フルーツ)
 ウトウトしたりテレビ見たり、嫁と話したりで、あっと言う間に消灯時間。 夜は足が疼き、またまた寝れない状況に。 車椅子で足台を付けずに移動している所を夜勤の看護婦さんに見つかりお小言を貰う。 「言う事を聞かない場合は車椅子を取り上げます」との事。 よく話しを聞くと、ベッド上安静で排便以外ではベッドから降りてはいけない(つまりオシッコはベッド上で溲瓶にしなさいと言う事・・。)らしい・・って、そんなに重症なの・・? 昼ウトウトし過ぎ(?)と足の痛みでまたまた良く寝れない・・。

2004年9月15日(水曜) 入院日記 3日目
 昨夜、寝る前に睡眠薬と下剤をもらうはずだったが貰えず、午前0時に看護婦さんが持ってきた。 睡眠薬のおかげでバタンキュー。 午前5時起床。
 朝から早速、2人の方が入室されて来た。 今度の方々は二人とも手の怪我(一人は腱鞘炎)だ。 手なので自由に動き回れる様で羨ましい。
 今日は手術日なので、朝、昼、夕食は無し・・。 午前中に嫁くる。 手術は14時からの予定との事。 準備で全裸にT字帯をして浴衣を着て待機。 14時過ぎからベッドごと手術室へ。 ベッド上から見た景色はまるでERのそれと同じだった。 手術室は温度が低い。 簡単な説明があり手術台へ移動。 踵の手術なので横向きで行う。 横にされマットや治具で固定され麻酔。 腰椎麻酔だったが、神経に打つのでズン!と来た。 下半身麻酔なので意識はあるはずなんだけど、結局半分くらいは寝てた様な気がする。 時々、感覚は無いなだけど、下の方で「グッ!」とか「オリャ!!」みたいな感じが伝わって来た。 見えたいたら多分気分悪くなったと想像出来る。 1時間半位と聞いたいたが、2時間程かかって終了。 術後の先生の話しでは「しっかり固定できましたよ」との事。 それからすぐに病室へ帰り横になっていたが中々麻酔が覚めない。 術後2時間くらいで覚めるとの話しだったが4時間経過しても覚めない・・。 腰の部分を手で触ってみたら、手には何か物体がある事は感じ取れるのだけど、腰には全く感覚が無く(当たり前)凄い違和感を感じた。 上半身は麻酔かかってないので自由に動くが、腰の位置を数センチ移動させようとしても中々移動させる事が出来ない。 腰下だけでも30キロちゃあ言わん位あるので、そりゃあ大変だよね。 それからじわじわと下半身の感覚が戻ってきたが、戻ってきたらきたで尿意をもよおしてきた。 しかし!ここからが地獄の始まりだった・・。 頭ではオシッコをしたいと思っているし、多分膀胱もそう感じていると思うのだが下半身麻痺してるので踏ん張る事が出来ないのだ・・。 溲瓶にモノを押し当てていても出てくる気配は全く無い。 でも膀胱は痛い・・。 この状態が約2時間続いた・・。 麻酔がほぼ切れて下半身をどうにか動かす事ができる様になり下腹部にも力を入れる様に出来る様になった段階で上半身を起こし溲瓶を構えると・・やっと出た。 その間、のたうち回りたくなるし(麻酔で下半身が動かないので上半身だけでもがく)、油汗は出るしで、落下から放置期間、手術を含めて、この件が一番辛かった・・。 そうこうしてると消灯時間となりました。

手術後の足(包帯してるのであんまり良く分からん) その1 その2 その3

2004年9月14日(火曜) 入院日記 2日目
 昨日は消灯22時で部屋の電気が消えた。 23時までテレビ観て就寝。 ・・予定だったんだけど、足の痛みで24時に目が覚めまたウトウト、1時に目が覚めウトト、2時に目が覚め・・その後は結局そのまま起きてた。 起きている間はずっと足が痛かった。 同部屋の二人の方も時より「ウーン、痛い」とか「いたたたた・・」など何度も声が聞こえてきた。 でも「痛い」と声をあげながらも眠れていると言うのは羨ましい・・。 起床時間は8時だけど二人はそれより遥かに早く起きて「いやー、もう全然痛く無いなぁ」とか言ってた・・。
 朝食メニュー (米飯、茄子の味噌汁、納豆、出汁巻き卵、味のり)
 同部屋の一人の方は今日退院、でも病院変わってリハビリ生活との事・・。
 ロク寝て無いので、飯食ったら睡魔が襲ってきた。 ウトウロしいてると先生が来たり、またウトウロしてると看護婦さんがきたりで、あっ!と言う間に昼食。
 昼食 (米飯、薩摩芋と鶏のあんからめ、酢味噌かけ、吸い物、牛乳)
 昼食後もウトウト、相変わらず足は痛い。 手術前の最終準備で足の毛を剃り、風呂に入る。 麻酔の先生の話しを聞き、またウトウト。
 夕食 (カレーライス、蓮根の酢もの、らっきょう、梨とぶどう)
 二日病院食を食べて感じた事は、味はまあまあだけど、絶対的に量が少ない!!ダイエットでええかも。 でも、昨日は夜中に買い置きのパンをくったんだよねぇ・・。 今日は嫁は仕事なので20時過ぎに来るかな。 面会時間は20時までだけど・・。 今日はウトウトしていて一日が終わりそうだ・・。 明日は飯を食えない一日・・って言うか、産まれて初めての手術でそれどころじゃあ無いか。

2004年9月13日(月曜) 入院日記 1日目
 11時半、入院の為に自宅を出る。 受付後直に病室へ。 506号室、4人部屋だが先客は2人。 2人とも年輩の方だ。 偶然かメルを合わせて三人とも左足の骨折だ・・。 昼食前入室だったからか昼食が出た。
 昼食メニュー (焼きビーフン、菜種和え、蒸しパン、甘夏缶)
 整形外科からなのか塩味も普通にある、味もまあまあ、昔入院した事ある友人に聞いて想像していたイメージよりも遥かに良い。 十分食える。 昼食後に担当の看護婦さんに院内や入院時の注意事項などの説明を頂く。 担当は太田さんだ。 その後、手術担当の先生より症(傷)状、手術、リハビり、リスク説明などいわゆるインフォームドコンセントを受ける。 軽く考えていたが完全完治、完全社会復帰は結構大変そうである。 怪我自体は落下状況からしてみたら良い方だが、怪我自体は良くは無いが最悪でも無いとの事。 入院、手術をするので星で言うなら★★くらいとの事。 担当の先生は本多先生。 スネや腕みたいにポッキリ折れてる方が、パッと見た目は派手だけど、極端に言えば骨と骨が繋がれば良いので、術後は今回のメルみたいに踵骨折の方が足首の縦横曲げや神経、筋の具合でリハビリが大変でタチが悪いとの事・・。 手術は明後日(15日)午後からだけど、翌日からリハビリ開始との事・・。
 先生が「リハビリは辛いですよ」との事なので、「骨折の痛みよりリハビリの方が痛いですか?」と聞いたら、「はい、骨折した状態と同じ状態で曲げたり伸ばしたりするのでねぇ・・。」との事・・。 手術から抜糸まで約二週間。 リハビリは手術翌日から、装具は腫れがひいてからのオーダーメードで寸取りしてから約一週間かかるとの事。 退院は全てが順調に行って、早くて術後二週間後、通常なら二ヵ月は入院との事・・。 その後はつらいリハビリの継続。 装具を付けて踵をつかない様にして歩くので二ヵ月、踵を完全に着け体重を全部かけても良くなるのが三ヵ月過ぎたあたりからとの事・・。 本屋みたいな(?)肉体労働作業は「半年は出来ません」とのありがたいお言葉を頂きました。

 説明を受けたあと病院内を見て回る。 レストラン、ケーキ屋、花屋さん売店など何でもある。 売店の弁当なんか、近状のコンビニより品数が多いくらいだ。 夕方からはCTスキャンを撮る。 手術の検査はこれで全て終わったみたい。

 病院の飯は早い・・。 朝8時、昼12時、夜18時・・。 一般人の生活ならなんちゃない時間かもしれんけど、昼に起きて夕方に一食目を採り、22時過ぎに晩飯を食い、へたすりゃあ午前4時頃三食目として夜食を採り、朝7時頃寝る生活を送っているメルには辛い・・。 入院生活でまっとうな人間の生活に移行出来るかもしれない。
 夕食メニュー (米飯、高菜漬、魚の柚庵焼き おろし和え付、マカロニサラダ、のっぺ汁)
 面会は20時まで。 嫁帰る。 する事無いので消灯までテレビでも見るかな。

 怪我の状況 踵の骨が落下による力で踵の下2cm位の所で骨が2つ以上に砕け、さらに割れた骨が左右に広がり上にズレ上がってるとの事。 通常足は踝が一番外側にないといけないのだが、せり上げってずれた骨が足の一番外側にある状態
 手術はこの上がった骨を下ろし、下で合体させてプレートで固定する術らしい。

入院直後の足の写真 その1 その2 その3 その4

2004年9月10日 日記
 本日、病院から電話あり、急きょ13日に入院、15日に手術と決定しました。 もう手術の予定が詰まっていると話していた週に割り込むとは、やはり急を要したと言う事か・・? これで順調に行けば、今月末には退院できる見込み。 その後はリハビリ生活。 どんな具合になるかは分からんけど、やっぱ年内にバイク乗り復活は難しそうな事は確かかな。 松葉杖生活と言うのは想像以上に大変なモノです。 左踵の骨折なので右足は使えるんだけど、松葉杖を使いだしたら右の足と右側臀部がこわってきた・・。 固定してるので、初日よりは足の疼きも少なくなったけど、石こうで固めてるのでかなり重い・・。 左足の腿もこわってきた・・。 自宅も店も和式トイレなので辛いっす・・。 外に出て洋式だったら入るけど何か出が悪い。 風呂も大変、独り暮らしだったら完全にアウトだったな。 家の事、ネコ便、犬の散歩と嫁の負担が増えて大丈夫か心配だぁ・・。

2004年9月9日 日記
 9月一発目の日記がこの内容とは・・。 7日朝からの台風18号は予想通り凄かった・・。 自宅はパイプ車庫で作っていたバイクガレージが倒壊、風呂場のトコのトタンは飛んで無くなり、庭は枝や葉っぱで足の踏み場も無い・・。 夕方には風も少し納まったので店の状況を見に行く。 店の看板やガラスは無事だったが、外に出している看板が倒れていた。 原因は店の前のお茶屋さんが半壊していて、そこのトタン板(1m×4m程)が飛んできていてストライク攻撃をしていたからだ。 トタンを片付け、メール処理、荷物発送の準備完了する頃、友人から電話があり「知人の家の屋根が全部飛んで行き、取りあえずブルーシートを張る作業をしているけど、手が開いてるなら手伝ってくれないか」との事だった。 丁度作業も終わりそうだったし、自宅は停電状態(結局、当日午前10時から次の日の夕方まで)なので手伝いに行く。 現場に到着すると、そこは病院なのだが見事に看板が無く、ガラスも割れている。 「屋根あるじゃん」と思っていると、病院裏の自宅の屋根が見事に全部なかった・・。 徐々に暗くなってきていたし、この一帯も停電状態だったのでさっさと作業を行う。 作業は1時間程で完了し木材やはしご、工具を屋根越しに駐車場に下ろしていて、最後のブルーシートを下ろそうとしていたその時!! 「メリッ、ガシャッ!」と音を立て、床(屋根)がズッポリぬけて、まるでフリーフォールで落ちた時と同じ様な勢いで約3メーターくらいの高さから落下・・。 落ちる瞬間に右手で何か(多分屋根)を掴んだが、それも一緒に落ちた模様で見事左足より落ちました・・。 落下後「あちゃー落ちたな、でもどこも折れて無いな」と確認、左足の踵が少々、いやかなり痛い。 ねんざしたかなとおもったけど靱帯は切れてもねじってもいない模様。 暫くしたら傷みも納まるかなと思って座っていたが、30分ほど経っても全く傷みが納まる気配を見せず、それどころか段々と足が腫れて来ている。 友人は「病院にいかなきゃ」と言っている。 通常(今までなら)なら「よかよか」と断り、今回も最初はそう言っていたが、足を見ていると「こりゃあ、ちょっとまずいかな?」と思い、近所の日赤病院に行く事にした。 21時過ぎに行ったが大繁盛中、「みんな台風が原因で来てるの?」って感じ。 30分ほどで診察室へ通された。 レントゲンを2枚撮り診察。 どうも宿直当番の先生らしい・・。 レントゲンを見ながら先生「うーん、踵の骨に少しヒビが入ってる様ですねぇ・・」 メル、写真を指差し「ここは折れてないんですかね?」 先生「うーん、私専門で無いので良く分かりません・・、明日朝8時から専門の先生が入るので、今日は傷み止めの薬を出します。明日来て下さい。」との事・・。 薬を貰い、晩飯を食べに行ったが、じわじわとだんだんと傷みが酷くなっていく。 結局、その日は10分くらいウトウトしては傷みで目が醒め、またウトウト、傷みで目が醒めの繰返しで満足に眠れなかった。 次ぎの日に病院に行くが、受付から診察開始まで2時間待たされる・・、みんな予約で来てるの? 診察開始でまず先生、足も見ず、顔を見るなり「今日来なかったら電話するトコでしたよ!緊急リストに載ってましたよ」だと。 じゃあ2時間も待たせんでくれよ!! で、次ぎに足を見て「うわっ!痛かろっ!」て・・。 そりゃあ痛いけん来とっとたい!て。 メル「折れてますか?」 先生「折れてます(キッパリ!)、それもかなり酷いです、昨日痛かったろ?」て・・。 メル「どんくらいで治りますかね?」 先生「入院して手術ですね!」 メル「はっ?手術(またまたー)」 先生「はい! 10日から2週間くらいは最低入院して貰います。」 メル「sのままじゃあ駄目ですかね?」 先生「結局はそのまましているとずれたままくっ付くし、傷みも無くならないし、将来障害が出るとのありがたいお言葉を貰い」 メル「手術は痛いですか?」 先生「痛いけど、今の傷みより、手術後の傷みの方がいくらかはましだと思うよ」との事。 メル「はい、分かりました」と返事する。 現在は手術のスケジューるが一杯で開いてないけど、早くした方が良いのは良いとの事だが、結局は早くて来週、多分再来週の入院となりました。 入院時に必要な物が記されているプリントを貰い、入院予約書を書き終え先生に、メル「松葉杖は貸して貰えますか」 先生「えっ!昨日渡して無いの・・、どうやって帰ったの?」 メル「けんけんで・・」 先生、看護婦さん達「・・苦笑い」 何でも、昨日の当直の先生は産婦人科の研修医との事で、ちゃんと指導しておきます、との事だ。 入院、手術の為の検査(レントゲン、採血、尿検査、肺活量など)を終え、足を半分石工で固めて踵が曲がらない様にしてもらう。 手術までは2週間あるけど、結局は前日に湿布貼っただけで、今回は湿布もなく曲がらない様にしただけ・・と言う事はずっと足は痛いまま・・? 昨日も傷み止め飲んだけど、まったく効かなかった・・のに・・。 生まれて初めての手術に入院・・全身麻酔・・不安だぁ・・。 松葉杖は結構扱いが難しいです。 昨日は前日よりはよく寝れました。

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